交通事故による腰痛・背中の痛み・足の痛みを改善するも落とし穴が待っていた昔の話  大阪市 Nさん 50代 男性

逍遥堂には数多くの症例があるのだが、改善事例の影にはうまくいかなかった事例も過去にある。

そうした事例があってこそ、次の発展の糧となるのだが、苦い記憶であることに変わりはない。

通常、治療院の体験談や症例は成功例ばかり並べることが多いが、「なぜうまくいかなかったのか」という事例に対する分析を記録しておくことも後学のためには必要であると思い、掲載しておくことにする。

 

本件は、私が他の鍼灸院に勤務していた時の事例である。

 

<経緯>

バイクでの交通事故により負傷後、腰痛・背中痛・足の痛みが続く男性。

整形外科で電気を当てたり湿布をしたりの日々が続くが、全く良くならないため、鍼灸治療をすることに。

とにかく経絡とか気とかを信じず、痛いところへの刺激こそが痛みを和らげると信じ込んでいる方であった。

エネルギーとか気とかの話はまるで受け付けず、「痛いところに鍼をしてくれ」「たくさん、深く刺してくれ」というタイプの方。

現在の自院であれば方向性の違いで袂を分かつであろうこの患者さんに対し、当時の私は院の方針もあり、患者さんの望む形での治療を余儀なくされた。

 

それでも、エネルギー療法を用いた鍼灸治療を行える私としては、たとえ局所付近への鍼であろうとも、全身は繋がっているのだから効果を出す自信があった。

現に、当人も喜ぶほど痛みが改善され、順調に事は運んでいたのだが・・・、落とし穴が待っていた。

 

 

<検査>

腰の回旋、後屈で激しい痛みが走る。たまに電気が走る感覚があるという。

しゃがむと左足の脛(前脛骨筋)に痛みが生じる。

立ち続けたり同じ姿勢でいると、とにかく背部から腰が重痛くなっていく。

(病院では、腰椎につまりがある。椎間板がつぶれかけていると言われた。)

 

 

<処置>

エネルギー療法を用いた鍼治療(当人には秘匿)を、腰・下肢中心に行う

 

 

<効果>

治療後、患者も当惑する程に痛みが軽減された。

治療を継続するごとに、痛みが改善されていくのを実感し、普段他人の悪口を言いまくったりする辛口な患者が、

「鍼ってめちゃくちゃ効くなあ」

「マジックや」

「天才鍼灸師やなあ」

と、機嫌よく喜んでいた。

 

ただ、本人はあくまで「つよく揉んだり、押したり、叩いたりした方が筋肉が柔らかくなり、痛みが緩和される」と信じ込んでいるため、自分でもマッサージをしたり、固い棒でぐりぐり押したりすることを止めようとしない。

私は当初から、

「事故で脳が緊張しているため、強い刺激はかえって抵抗を生み、痛みが強くなることがあるから、揉む・押す・叩くのを止めて下さい」

と、注意していたのだが、一向にやめる気持ちがない。

さらに、暑がりの本人は、クーラーをガンガンに効かせた部屋で過ごす(さらに冷えたビールを飲む)ため、

「冷えは状態悪化につながる」

「内臓の冷えは回復力が落ちやすくなる」

と、忠告しても聞く耳を持たなかった。(お風呂につかることも嫌い)

 

こうして途中までは順調に回復を見せていたのだが、真夏に差し掛かり、さらにクーラーで冷やした環境下で患部を棒で強刺激する生活に拍車がかかるようになり、再び痛みが強く出るようになってしまった。

 

私は、再度忠告を繰り返すのだが、強刺激信望者である患者は、さらなる強刺激を求めて来た。

 

結局は、最初のスタンスで妥協した事が、こうした結果を招いたと今となっては反省材料になっているのだが、とにかく当時の状況下では院の方針もあり患部付近への刺鍼を行うことが求められた。

たしかに体は繋がっているため、どこに鍼をしてもエネルギーの効果は出せるのだが、脳の警戒が強い状況下でわざわざ患部付近に鍼をする必要などなく、むしろリスクを伴う。

せっかく調整しても、体が緊張してしまってはいけないうえに、クーラーや棒でぐりぐりするという強刺激を毎日家で行っているのだ。

 

結果、痛みは強くなってしまい、患者の機嫌も悪くなるばかり。

さらに痛みをかばって逆側の脚が痛くなるという悪循環に陥ってしまった。

 

遠隔でエネルギーを送るという合わせ技をこっそり行い(やっている期間はものすごく調子が良かった。もちろん本人には言わないが)、効果の持続を図るも、全体の組み立てがそもそも妥協を下地にしたものであったため、思うような形で回復に導けなかった。

 

やがて、最後まで私の忠告を聞かなかったその患者は、おそらく別の院へと去っていった。

 

途中までは効果が出ていたのに、養生指導が徹底できず、さらには妥協に妥協を重ねた治療の結果、落とし穴にはまることになってしまった。

 

妥協はいけないという想いが強くなった一件であったし、今ならばこうするのにとも思える症例であった。(軸調整、エネルギー療法を別角度でおこなうなど。本人が受け入れるかどうかは別として)

どれだけ良い治療法を持っていても、患者さんがそれを受け入れず、共に協力し合おうとしないのであれば、うまくはいかないということだ。

 

ただ、振り返れば、やはり私の技術うんぬん以上に、姿勢や在り方に未熟さがあったゆえだと思う。

 

「豊かな人生とは、後悔の多い人生である」

とは、将棋の羽生善治さんの言葉であるが、この失敗や後悔も将来の実りに繋がる苦い体験だと思いたい。

 

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